月明洞聖殿

646543年間100万人以上が訪れる世界的名所、『月明洞自然聖殿』

神様をより深く感じることが出来る世界的名所、月明洞(ウォルミョンドン)。ここは世界中に広がるキリスト教福音宣教会(摂理)の中心として、世界中から年間100万人以上が訪れる大自然に囲まれた自然聖殿です。

山奥を進みに進み、本当にこんなところに聖殿があるのだろうか、と一抹の不安を覚えながら入口にたどり着くと、野生のリス、鳥の音、花の香がお出迎え。自然に囲まれた歩道を上っていくと、突如視界に現れるのは、4a2801b6ae5a59464d1404290fe0a6d4大きな八角亭と池。さらに足を踏み入れるとそこには、既存にはない規模の岩の造景、国際規格の運動場と大自然聖殿の芝生、自然によって精錬された天然薬水、建築物・御子愛の家などが目に入り、驚かざるを得ません。その美しさには感嘆のあまりため息が出るほどで、とくに初めて訪問された方がその美しさに魅了され、「どうやったらこんな山奥に、こんなものが作れるのか?神秘的だ…」と感銘を受ける姿が見られます。

とくに圧倒されるのは「岩の造景」でしょう。その規模は横幅約200m、高さは約35m、数十、数百トンの岩が高くそびえ、数百個の自然石と数十本の松の木と花々が織り成し、極致の調和を成しています。その美しさは見る人の胸に深い感動を与え、造園の専門家からは「世界最大の岩の造景だ」と最上級の評価を受けています。86f275953ca1368a374ff906aa423d15その造景の中心には、鄭明析牧師直筆の「命を愛しなさい」と書かれた岩が置かれ、「自分の命はもちろん、他人の命をも自分のことのように大切に愛そう」と愛の重要性についてメッセージを投げかけています。

開発前当初、鄭明析牧師の故郷でもあるこの場所は、奥深い山で人気(ひとけ)もなく、車も一切通ることのないあまりにも寂しいところでした。その土地のほとんどは農業のために使用され、畑や様々な樹木が植えられていました。夜は街灯など一切ないため、月がとても明るく見え、当時はタルバッコル(月が明るい村)と呼ばれていました。「誰も見向きもせず、訪れることもしないこのような場所に、まさか聖殿を建築するなど思いもよらなかった」と牧師自ら語っています。

転機が訪れたのは、1989年。数千人の弟子たちが集まって礼拝を捧げることができる聖殿を探そうとしました。当初はソウル市内を中心に探していましたが、ある日、彼が深く祈る中で、「あなたが20年間、修道生活をした生まれ故郷、月明洞を開発しなさい。たくさんの群衆が雲のように群がってくる場所になるだろう」と神様の啓示を受けました。

初めは全く信じられず、冗談かと思うような啓示でしたが、その言葉をただひたすら信じ、彼は弟子たちと15年間、月明洞建築に力を注ぎました。また平素の祈りで神様の構想を受け、建築現場の総指揮もしながら、自らも弟子たちと共に開発作業に参加し、夜も昼も、季節に関わらず汗を流しました。

その開発作業はあまりにも想像を絶し、かつ常識を逸するものでした。特に困難を極めたのが「岩の移送」と「岩の設置」です。海抜400mに位置し、ある場所では舗装もあまりされていない傾斜20~30度以上の激しい勾配が200m以上も続く山奥の月明洞に、数十・数百トンの岩を移送することは、重機の問題もあり、普通の業者では取り合ってくれないほどでした。また移送してきた岩で造景を作る際に、通常は岩を横にして設置しますが、天の構想は異なり、岩を縦に設置するというものでした。数十・数百トンの岩を最も不安定で崩れやすい「縦の配置」にすることは、あまりにも危険を伴う作業で、移送業者や造園士からは「あまりにも危険で常識を逸する作業だ。一歩間違えば大事故が起こり、死者が出るだろう。やめたほうがいい。」と言われ続けました。

それでも祈りの中で神様が下さった構想を実現すべく開発作業を行い、実際、その作業の中で牧師と弟子たちは何度も危険な瞬間がありましたが、15年あまりの大工事で、死者はおろか、大きな怪我をした人は1人も出なかったのです。業者からは「神業であり奇跡だ」と称賛され、まさに「神様の命のしるし」といえるでしょう。

その結果、世界に唯一無二の岩の造景・野心作のほか、巨大な八角亭と池、国際規格の運動場と大自然聖殿の芝生、奇跡の薬水、建築物・御子愛の家など、多くの傑作が誕生しました。

 

神様の声を聞いて建築した岩で“美しく神秘的で雄大に積もう”

当初、牧師は今の岩の造景の場所に、「数千人が座れるコンクリートの階段を作ろう」と計画していました。開発作業を開始してまもなく、1人で裏山にいたところ、突然、激しい頭痛に見舞われその場にしゃがみこみました。その瞬間、脳内に、今の岩の造景の姿が鮮やかに描かれ「このように岩で雄大で美しく神秘的に立てよう」という、神様の声が聞こえ、鄭明析牧師は神様が見せて下さったその岩の造景の姿を、即座に紙に描きました。

このことは、聖書のある一節を思い起こさせます。「彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。」(ヘブル人への手紙8.5)

月明洞も同様、牧師は神様が見せて下さった幻に従って、雄大な岩で造景を作り始めたのです。そうして15年あまりの間、精魂込めて、今の岩の造景を完成させました。

 

野心作にまつわる経緯 ”岩は崩れても私の心は崩れない”

岩の造景の正面に立ってみたとき、左側の造景には名前があります。その名は「野心作」。これは「神様の野心作」という意味で、神様が彼に啓示で伝えた名前です。野心作は数十、数百トンの岩が高くそびえ、ところどころに松や花が植えられ、そのバランスが実に究極の調和を成しており、その美しさは、見る人の胸に深い感動を与えます。

野心作には経緯が込められています。最初、彼は削られた山の上の野心作の位置に、数十、数百トンの岩を縦に立てようとしたので、「これは容易なことではない」と感じました。世の中のどこにもない造景だったので、彼は新しい造景工法を創案しなければならず、研究に研究を重ねた末に、その造景工法を確立させました。

今の形状で完成するまで、野心作は5回崩れました。その度に彼は熱い涙を飲みました。数十、数百トンの岩が崩れて、それを立て直すには相当な労力と時間を要するため、1~2回崩れたらもう諦めてしまうのが普通の精神でしょう。しかし神様の御心がある歴史的な聖殿だったので、決して諦めることはせず、再び6回目に積み上げた末、今の姿に完成しました。「岩は崩れても、私の心は、私の霊は崩れなかった。」当時の、鄭明析牧師の七転び八起きの精神が込められた言葉です。

崩れては積み、崩れては積みを繰り返すたびに、鄭明析牧師と弟子たちの汗と涙、祈りが積み重なり、より美しく神秘的で雄大な『神様の野心作』として完成したのです。

 

神様の大傑作、岩の造景・野心作のかしら石に、鄭明析牧師は次の文字を刻みました。

「このすべての構想は神様、感動は聖霊様、命の保護は御子、技術・実践は私と弟子たち」

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