鄭明析牧師紹介

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韓国が日本植民地時代から開放された1945年……

鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師は、その年の3月16日に山奥の月明洞で、両親と6男1女の三男として生まれました。

幼いときから極致の貧しさを経験し、当初の家は土でできた平屋であちらこちらから雨漏りやすきま風が入り、マイナス10度を超えることもある真冬には、厳しい寒さに凍え、何度も死に直面しました。ダニはもちろん南京虫(トコジラミ)に度々襲われ、激しい痒みに毎日悩まされました。

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周りにはまともな土地もなく、農業をしても刈り入れる穀物が少ないため、薄いお粥を食事代わりにするのが日常茶飯事で、クズの根を掘りに山へ通うほどでした。小学生の頃は、昼食の時間になるとあまりの空腹に耐えられず、当時は衛生環境も劣悪な学校運動場の水道水でお腹を満たしたりもしました。

このような過酷な現実の中で、彼は小学生の頃から人生について深く考えるようになり、「こんな先の見えない人生なら生きている意味が無いのではないか。どうしてこんなに貧富の差があるのだろう。神様はどうして人間を創造したのだろうか」と自問自答し、もがき苦しむ日が続きました。

そのような日々を過ごす中、ある日、彼の人生を劇的に変える運命の「出会い」がありました。それが「聖書との出会い」でした。切実に神様を求めていた小学生の時分、聖書を開いたとき、そこに「神様から人間に対するメッセージ」があまりにも多く書かれていることに大きな衝撃を受け、感動のあまり激しく涙を流しました。そして15歳になると本格的に修道生活に入り、山で祈るようになりました。682 とにかく目の前の厳しい現実と人生の問題を解決したかったのです。昼は両親の農業を手伝い、夜には近隣のテドゥン山や廃鉱に入り、ときには洞窟にこもり一日中、ひたすら聖書を読んでは祈る生活を送りました。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイによる福音書11.28-30) この聖書の言葉を黙想していたある時、神様から「人生の問題を解決するには、私に学びなさい」という声が聞こえてきました。そのときから、一層祈りに専念し、神様に聖書を一つ一つ学び始めました。

彼は主だけを、まるで新婦が新郎を愛するように愛しました。心と思いと命を尽くして熱く愛し、どんな状況でも主をまず呼び、自分を空けて主の御言葉に従いました。

 

<先生の先生を教える先生になりなさい>

夏に山に入って祈り始め、冬が来る頃に終わることもありました。数日間、食べることも寝ることもせず、祈ってばかりいました。神様の心情と愛のハン(恨)を悟って流した涙は、一週間以上、流しても止まることはありませんでした。

そして1966年、21歳の時に部隊の一員として、ベトナム戦争に約3年参戦することになりました。彼は戦場でも聖書をいつも携え、少しでも時間があれば読み、天の声と黙示を記録しました。そして、参戦中には数十回の究極的な死の瞬間から、主に守られて奇跡的に生きのびました。

そして彼は戦場の悲劇的な惨状を見て直接経験し、命の尊さを切実に悟りました。帰国後も修道生活を続け、40日間の断食の祈りと70日の節食をし、祈りました。千回以上読んだ聖書はボロボロになりました。

身震いするほどの寒さと暑さ、眠ることのできない苦痛と空腹、孤独を耐え忍び、彼は聖書の秘密と真理を求め、続けて学んでいきました。涙と苦労が目の前を遮っても、主を熱烈に愛したので、どんな苦痛も耐え忍ぶことができました。20年あまりの長いお祈りの生活でした。

主は彼に霊界のあちこちを見せて下さいました。天国と地獄も数えられないほど行き来しました。人間が自分の霊魂について知らず、永遠な世界を知らず、虚しい人生を生きているということを悟り、鄭明析牧師は胸を打って嘆きました。主は「あなたは私に学んで『先生の先生を教える先生になりなさい』とおっしゃいました。

 

<私の唯一の師は主だった>

老若男女、田舎も都会も関係なく、福音を伝えました。ある年は、伝道した人を数えてみたところ、一万人を超えました。主と共に、足に豆ができるくらい命を伝道しながら、神様の語れない悲しい心情と涙、そしてハン(恨)を一層、深く体感しました。

そして1978年6月1日、主に呼ばれてソウルに上京しました。このときから主に学んだ御言葉を続けて本格的に教え始めました。

彼は言います。「私の絶対神、ただ唯一である主は、キリスト、イエス様をメシアとして信じ、愛するのでイエス様として現れ、教えてくださった。その方だけを新郎として仕え、心と思いと命を尽くして愛し、御子の最初の新婦になった。だからこの道だけを走ってきた」と。

 

年度 鄭明析牧師 執筆活動および実績
1989年 12月 「霊感の詩」1巻出版
1990年 6月 「天の言葉 私の言葉」1巻出版
1995年 11月 月刊<文芸思潮>新人賞、詩人登壇
1996年 5月 「霊感の詩」2巻出版
2004年 7月 「天の言葉 私の言葉」2,3,4巻出版
2005年 3月 「救いの御言葉」「天の言葉 私の言葉」5,6巻出版
2011年 1月 UWA Perth International Arts Festival に絵「運命」が代表作として選定
2011年 3月 韓国100年史詩人に公式登載
2013年 7月 「霊感の詩」3巻、「詩の女」「詩で語る」出版

 

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