はじめに

聖書について

 

摂理(キリスト教福音宣教会)では、聖書を重視しています。旧約聖書と新約聖書の歴史がどう流れてきたのか、すなわち、聖書に登場する、アブラハム、ヨセフやモーセ、ダビデ、預言者たちといった、神様の働きをなして、神様の思いを代弁したいわゆる中心人物といわれる人たちを通して、どのような歴史がなされてきたのか、神様は救い主であるイエス様を地上に送られたことがどのような意味を持つのかを、御言葉(聖書の言葉、説教)によって学んでいます。

私たちが捧げる、主日礼拝や水曜礼拝の説教では、聖書の中心人物たちやイエス様のエピソードが頻繁に登場します。そして

・神様の歴史に登場する中心人物たちが成し遂げた出来事が、私たちにとってもどのような意味を持つのか
・中心人物の成功と失敗、または中心人物を迎える側の人々の失敗によって、どのような歴史となったのか
・神様が送った中心人物たちやイエス様を人々が受け入れず、不従順であったことで、どれほど神様が心を痛めたのか

これらを、御言葉を通して、私たちは繰り返し学んでいます。

神様が心を痛めるということを聞くと、驚かれる人が多いかもしれません。摂理で御言葉を聞くと、私たちが考える以上に、神様ははるかに深く人間を愛してくださっていた、ということに気づき、驚かされます。神様は人間の歴史をすべてご覧になり、人間を愛して、愛して、期待し、気をもみながら、様々な出来事に心を痛めながら、神様はそれでも人間を捨てずに待ち続け、救いをなしてくださり、救い主を送ってくださっています。この救いの歴史、愛の歴史について、御言葉を通して私たちは深く学んでいます。

いつの時代であれ、普遍的な価値を持つといえる、聖書の真理の御言葉は、聖書に登場する歴史の時代背景や、その当時神様と人間との間にどのような出来事、いきさつがあったのかを詳しく知ってこそ、深く悟ることができると私たちは考えています。このため、摂理では、聖書を学ぶとともに、繰り返し精読することを奨励しています。>>続きは「聖書を知る」へ

 

30個論

 

摂理(キリスト教福音宣教会)では、主日礼拝や水曜礼拝の説教を学ぶ前に、聖書の根本的な意味を知るための、入門講義(基本教理)として、 30個論(バイブル・スタディ)を学んでいます。これは、摂理の創設者である、鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師が修道生活において、聖書を 2000回余りも通読しながら、悟ってきたものです。21年間もの究極的な修道生活の中で天から受けた御言葉を文書に整理し、 120ページに図表化させ、これをさらに、 30個の御言葉となって整理し、結実したものです。

鄭明析牧師は、真理の御言葉を悟ってから、このように宣べ伝えてきました。すなわち、人間がまさに創造主である神様の実存体であり、肉体をもって真理を行うことのできる神様の最高の作品、神様の愛と喜びの対象体として創造されたのに、人間が堕落することによって、人間の価値を失い、愚かに生きてきてしまったのだと。この 30個論の御言葉を聞けば、聖書の問題だけでなく、人生のすべての問題が、雪が溶けるように解けるようになるのだと。

聖書は、神様が私たち人間にくださったラブレターです。そこには神様の永遠な愛、最高の知恵、真理が集められています。しかし聖書はその大部分が比喩と象徴で書かれていて、その意味を解き明かさなくては、神様の御心を正確に知ることができません。聖書の中に、まさに人生のすべての問題とその答えが入っていますが、人間が聖書の表面だけを読んでも、聖書の意味を知ることができないのです。

すなわち、聖書に出てくる数々の疑問、これらは比喩や象徴で覆われています。これらが 30個論の御言葉を学ぶときに、すっきりと解けるようになることに気づくでしょう。これらの1つ1つの御言葉、教理の深みは、簡単に説明することができません。またただの理論でもありません。真理とはそれを願い求めた人がより深く悟りえるものだと思います。

願い求めた人にとっては、 30個論は、自分の人生の問題を解く御言葉となり、救いの御言葉となるでしょう。そして、世の中のさまざまな問題について、根本的な原因を知り、その問題を解き明かす、真理の御言葉、命の御言葉となるということを私たちは確信しています。
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御言葉通りに生きる

 

摂理(キリスト教福音宣教会)の創設者である鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師は、今の時代は、人が神様を信じる時代ではなく、神様とともに生活する時代だということを長年語り続けてきました。つまり神様を信じる、信じないという次元は超えて、神様と遠い関係ではなく、近い関係、神様をすぐそばに迎えながら、毎時間、毎瞬間神様を呼びながら、神様とともに生きる生き方。それを私たちは目指しています。

私たちは、御言葉を通して、この世に創造された自分自身の価値、人生の価値、自然万物の価値も学んでいます。御言葉を悟るということは

・神様の御心を知り
・神様の創造のみわざと人間の生きる目的を知り
・人間の罪の問題が何かをわかって、その解決の道を見出し
・真実な救いと命を得る鍵となる

と私たちは考えています。

本当に私たちが考えているよりも、私たちの、この命は価値があり、尊いものだったのです。

・天下を与えても変えられないこの命が与えられたこと
・神様がともにしてくださること

この喜びに、毎日神様に感謝感激しながら生きる人生。摂理で御言葉を求めて学ぶときに、そのような人生を生きている、変化した自分自身の姿をご覧になることがきっとあると思います。

神様の御言葉を携えて、御言葉通り生きるということは、どういうことでしょうか?

・生活の中で、神様を呼び、神様とともに一体となる生き方をすること、それを目指すこと
・真実に自分自身を愛してくださる神様の愛を知って、神様を愛し、神様の愛の対象となって生きること
・私たちをとりまく様々な問題、難題に対しても、神様の愛と、真理という最高のよりどころ、武器を携えて生活すること
・自分自身の矛盾を御言葉によって悟って、自分自身を磨いて削って生きること
・神様の願われる御心をもっと詳しく知って、悟って、御心を1つでも2つでも、なしながら生きること

このようなことだと私たちは考えています。また、私たちは、御言葉という鏡に照らして、自分を見る、自分を知ることが重要ではないかと思います。御言葉を知ることは、神様の御心を知ることですが、同時に自分自身を知ることでもあります。

御言葉を聞いて、祈り、生活するうちに、自分自身の直すべき考え、習慣、生活が何であるのか、自分自身の矛盾に気づくことが私たちにはしばしばあります。御言葉で自分自身を見つめなおすことは、たやすくなく、難しいことも多くあります。私たちは、御言葉を一つ一つ自分の生活に照らし合わせ、自分自身の考えになるように、生活で覚えて、神様と一体になることを目指しています。そして、自分自身の考え、習慣、生活を磨いて削り、変化させるために努力しています。それは非常に困難が続くことも多い道です。私たちはそのために、もがいてもいます。それは神様の愛の対象となって、もっとすばらしい人生を生きたいと願うようになったからです。そしてその可能性が信じられるようになったことを神様に感謝して生きたいと思います。

摂理では、御言葉は生活であり、信仰は生活であるべきと考えています。聖書にもあるとおり、行いが伴わない信仰はむなしいし、生活と御言葉が別個のものであってはいけないと考えています。鄭明析牧師は、私たちの天国は、死んでから行く天国だけではなく、生きている間にこの生活を、そしてこの地上を天国にしていかなくてはならないと語り続けてきました。この御言葉を行って、御言葉どおりに生きることで、私たちはまず自分自身を天国に作り、そしてこの地上に天国を広げていくことを願っています。>>続きは「自分を知る」へ

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