エリヤとからすのパン

列王記上17章に出てくる、旧約聖書の中でモーセと双璧をなす預言者エリヤの物語です。この時代、北イスラエルの王アハブは、異邦の女であるイゼベルを妻にめとったため、バアル、アシラを拝む偶像信仰が神様の国イスラエルに入ってきてしまいました。

私たち人間を恋人のように愛していらっしゃる神様は、人間が神様以外のものを拝むことを非常に嫌われます。そこで、その切実な思いを王と民に告げるため、預言者エリヤをアハブの前に遣わしたのでした。 エリヤは、アハブに「あなたとイスラエルの民が偶像を拝むことをやめなければ、このイスラエルの地に数年の間雨も露もないであろう」と告げます。実際、エリヤの祈りにより、3年6か月の間、イスラエルの地には雨が降りませんでした。

しかし、逆上したアハブによってエリヤは命を狙われることになり、神様の指示に従ってケリテ川のほとりに身を隠すことになります。ここで神様は、「からす」を用いてエリヤのもとにパンと肉を運び、エリヤを養われました。

この話を理解する上で、私たちは「聖書は比喩で書かれている」という原則に立ち返らなければなりません。からすは死を表す鳥です。すなわちからすとは、黒い服を身にまとい、偶像を拝む者たちのことを指します。神様から見たときに、彼らは神様と関係が切れた者たち、すなわち霊的な死人だったからです。

エリヤは、「からす」たちが自分たちの偶像に捧げる捧げ物を食べて何とか生き延びたのでした。しかし、神様に仕えるエリヤにとって、この偶像に捧げて穢れたパンを取って食べることは、本当につらいことでした。文字通りエリヤは涙のパンを食べながら、それでも生き延びなければならなかったのです。なぜなら、この時代、自分以外に神様の御言葉を宣べ伝えられる人がいなかったからなのです。

いつの時代でも神様の働きを成す人は、その時代の神様の心情を受け、涙のパンを食べながらも御言葉を伝え続けるのです。 3年半の後、エリヤはカルメル山において、アハブと大勢の民たちの前でバアル、アシラの預言者850人とたった一人で戦い、勝利を収めます。このとき、エリヤは民たちに「いつまで二つの神の間で迷っているのか。イスラエルの神か、偶像か、どちらを信じるのか選びなさい」と選択を迫ります。結局、民はエリヤに従い、バアル、アシラの預言者たちを滅ぼしました。

今の時代も同じです。この時代、私たちも様々に善と悪を選択しなければなりません。神様がこの時に救おうとなさる働きと同時に、私たちの環境や考えを通して健全に神様に向きあうことを妨げるサタンの働きがあることを忘れてはいけません。その中で、自分が生の道と死の道をいかに見極め、正しい道を選択していくか、それによって私たちの霊魂という永遠な命の運命が左右されるのです。

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